2009年11月13日金曜日

夏目漱石を読みましょう

漱石文学を読むためのブログです。各作品の各章ごとにコメント覧を設けてあります。各章を丹念に読み進め、文豪の英知を堪能してください。

【夏目漱石】小説家。本名、夏目金之助。慶応3年2月9日(旧暦1月5日)~大正5年12月9日。江戸牛込馬場下横町に生まれる。明治26年、東京帝大文科大学英文科を卒業。明治33年、文部省留学生として英語研究のため英国留学。明治36年、東京に帰り一高、東大の講師を兼任。明治38年、高浜虚子にすすめられ風刺小説「吾輩は猫である」を執筆。続けて「坊っちゃん」(明治39)、「草枕」(明治39)などを発表し、一躍人気作家となった。明治40年、朝日新聞社に入社。以後の小説は朝日新聞紙上に発表されることになる。明治43年、胃潰瘍の療養のため修善寺温泉に滞在中、大量に吐血し危篤状態に陥る。この体験は漱石の人間観、死生観に大きな影響を与えた。大正4年、初の自伝的小説「道草」を発表。大正5年12月9日、胃潰瘍の発作により死去。享年49歳。最後の小説「明暗」は未完のまま遺された。代表作は「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」、「それから」、「こゝろ」、「明暗」など。

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2008年11月13日木曜日

こころ

1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、朝日新聞で「心 先生の遺書」として連載。岩波書店より刊行。

友情と恋愛の板ばさみになりながらも結局は友人から恋人を奪ったために罪悪感に苛まれた先生からの遺書を通して、明治人の利己を追う。漱石の代表的な作品。

こころ

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2008年11月12日水曜日

行人

1912年12月6日から1913年11月5日まで、『朝日新聞』に連載。ただし、4月から9月まで作者病気(胃潰瘍)のため、5ヶ月の中断がある。

自分本位に行動する男とその妻との間にできる溝を通じて、近代知識人の苦悩を描く。『彼岸過迄』に続く、後期三部作の二作目。

行人

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坊っちゃん

1906年、「ホトトギス」に発表。のち『鶉籠』(春陽堂刊)に収録された。

作者の松山での教師体験をもとに、江戸っ子気質の教師が正義感に駆られて活躍するさまを描く。漱石の作品中、最も多くの人に愛読されている。

坊っちゃん

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2008年11月11日火曜日

道草

朝日新聞に、1915(大正4)年6月3日から9月14日まで掲載された。

「吾輩は猫である」執筆時の生活をもとにした漱石自身の自伝であるとされる。主人公健三は漱石、金をせびりに来る島田は漱石の養父である塩原昌之助であるという。

私小説風のため、小宮豊隆らからはあまり勧められないなどと書かれ、不評であった。しかし、これまで漱石のことを余裕派と呼び、その作風・作品に批判的であった、いわゆる自然主義と呼ばれる作家達からは高く評価された。


道草

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1910年に「朝日新聞」に連載。翌年1月に春陽堂より刊行。

『三四郎』『それから』に続く、前期三部作最後の作品。親友であった安井を裏切って、その妻である御米と結婚した宗助が、罪悪感から救いを求める様を描く。



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野分

野分

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虞美人草

初出は1907年で、朝日新聞上に連載された。彼が職業作家として執筆した第一作で、一字一句にまで腐心して書かれたという。

虞美人草

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夢十夜

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文鳥

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変な音

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二百十日

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工夫

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明暗

朝日新聞に大正5年(1916年)5月26日から同年12月14日まで連載され、作者病没のため188回までで未完となった。大正6年(1917年)に岩波書店から刊行。

円満とはいえない夫婦関係を軸に、人間の利己(エゴイズム)を追った近代小説。漱石の小説中最長の作品である。則天去私の境地を描こうとした作品とも解されている。


明暗

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彼岸過迄

1912年1月1日から4月29日まで「朝日新聞」に連載。同年に春陽堂から刊行された。

「修善寺の大患」後初めて書かれた作品。自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く。短編を集めて一つの長編を構成するという手法が具現化されている。後期三部作の第一作。

彼岸過迄

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我輩は猫である

1905年1月、「ホトトギス」に発表、好評のため翌年8月まで継続した。大倉書店、服部書店刊。

英語教師、苦沙弥先生の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、飼い主苦沙弥先生の一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たちの人間模様を風刺的に描いた、漱石の処女小説。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しは有名。舞台化されたほか、『吾輩ハ鼠デアル』『我輩ハ小僧デアル』など多くのパロディが生まれた。三島由紀夫も少年時代に『我はいは蟻である』(1937年)という小品を書いている。

我輩は猫である

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それから

1909年に朝日新聞に連載。翌年1月に春陽堂より刊行。『三四郎』(1908年)・『それから』(1909年)・『門』(1910年)によって前期三部作をなす。

定職に就かず、親からの仕送りで裕福な生活を送る代助が、友人の妻である三千代とともに生きる決意をするまでを描く。

それから

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三四郎

1908年(明治41年)、「朝日新聞」に9月1日から12月29日にかけて連載。翌年5月に春陽堂から刊行された。『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ。

田舎から出てきた小川三四郎が、都会の様々な人との交流を経て成長する過程を描く。この三四郎という平凡な田舎者を通じて、当時の日本を批評。作中で三四郎と美禰子が出会った東京大学の心字池(育徳園心字池)は、本作品の影響から「三四郎池」と呼ばれるようになった。

三四郎

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草枕

1906年に「新小説」に発表。熊本小天温泉を舞台にして、著者のいう「非人情」の世界を描いた作品である。冒頭の部分が有名であるが、「棹差す」ということばの意味の誤解を招く一因ともなっている。グレン・グールドの愛読書としても有名。

草枕

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